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| ENDS■free flower■ 2001/4/1 endsとの出会い。ご多分に漏れず、私もSOFT BALLETからの流れ者。だから、「出会い」というよりも、「再会」という言葉の方が近いだろう。もとは藤井ファンだったが、「遠藤さん」の声とビジュアル、言葉と感性はちゃんと好きだったし、藤井さんの言う通り「大気みたいな人」だと思っていた。その頃はまだ地元で、周りにファンの友達もいないし、情報ソースと言えば雑誌と新聞とNHK-FMくらいしか知らず、ライブも数えるほどしか行ったことないような状態だったから、SOFT BALLETの解散を知ったのも、endsの始動を知ったのも雑誌でだった。「THE ENDS」。何じゃこりゃ、シャレかい!本屋で、声を出して笑ってしまった。「遠藤さん」がこういうセンスの持ち主だったとは知らなかった。ファーストシングル「蜘蛛と星」を聞いた時、今まで聞いたことのないタイプの音だったのでまたびっくり。「遠藤さん」がこういう音を出して来たことに素直に驚いた。ただし、1stアルバムを聞いてもそれほど感銘は受けなかった気がするのね。いきなりハマってヘビーローテーション、にはならなかった。どんなアーティストでもそうなんだけど、1stだけでは判断できないところが多々あるのと、余程拒否反応を起こさずに、興味が持続するなら次も買うのね、私。だから2ndも買ったってことは、ちゃんと許容範囲だったんだろう。とりあえず彼の言うことには共鳴していたし。シングルも買ってたし、ビデオも買った。きっと「きゃーエンドウさーん♪」と言ってたに違いないのだ。が。この頃のことを、私はまったく覚えていない(「VIDEO SPACY」は仙台に出来たばかりのHMVで買った覚えがある…)。実家にはツアーパンフもある。THE ENDSのツアーには行かなかったが、SPACYツアーともう一つの。つまりちゃんとライブにも行っている。ところが、内容をまったく覚えていないのだ。もちろん石垣のことなど知らない頃だから、ギターがどうこう、ドラムがどうこう、そんな細かい感想などあるわけもない。 東京に出て来て、「愛のうた」がリリースになり、居候していた叔母の家の部屋でくり返し聞いていた。「何かが足りなくなった時には自分の心を感じてようぜ/答はいつでもそういうことさ」そして1998.7.30の新宿リキッドルーム。やっと、ここで記憶が鮮明に…というか、ここで初めて私は「遠藤さん」ではない「遠藤」と出会った気がするのだ。足踏みでアンコールをしながら、感動していた。それまではきっと、惰性で好きだった。感じているつもりで感じていなかったのだろう。だから何を感じたか覚えていないのだ。子供のころ、自分が何を考えていたか覚えてないみたいに。親元で燻っていた自分ではなく、一人になった私に聞こえて来た遠藤の歌。あ、またちょっと惚れ直した(笑) そして「HOWL」、これまで以上に濃いendsの世界を私はやっと手に入れた。東京に就職も決まり、会社ネッターになり、友達が増えて、「遠藤さん」は「遠藤!」になって、…途端に石垣に転んだが(笑)とりあえず今に至ると。 ---------------------------------------- 「そうか。遠藤の歌は、自分が裸にならないと聞こえないのか」今やっと謎が解けました(いやマジで)。だってずっと不思議だったんだわ(笑)なんで2ndまでの記憶って曖昧なんだろうなって。これ、下書きしてても全然盛り上がんなくて、文章として成立しない!とメモっているくらいだったから。いやー書いて良かった(笑)新発見。結局ね、受け手の問題なのよ。いつも思うけど。やる方は好きにやってくれればいい。それをどう感じて受け止めるかはこっちだからね。 |
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